格闘技(プロレス)とは? |
あるプロレス関係へ投稿より(H18.12.24) (追記) <「週刊ファイト」が、休刊(廃刊)になってから、格闘技・プロレス情報は、 今さら、「東スポ」を買う気も起こらず、忙しい身で、 時々、PCのホームページで、「日刊スポーツ」のファイト欄を時々見る程度になり、 本当の事情近くは、このホームページ(mailmag@mag2.com)が殆どとなりました。 ところで、(大晦日に行われる) 「男祭り」 / 彩 さんの投稿にある、 今年の「男祭り」は、ヒョードルvsバーネットがあれば、 プロレスファンとしては、多いに見たい気を起こしたと思いますが、 他の試合の組み合わせを見ても、あまり心沸き立たせるものは、 少なかったように思えます。 その点、「K-1」の主催者の方が、今、あえて、やる必要が無いのに、 (その勝負において、どちらかの商品価値が下がることを知っていながら、) そのやる姿勢の方が、格闘技ファンとしては、面白いかもしれません。 私は、プライドもK-1も時間が都合がつけば見(ビデオに撮ったりし)、 深夜のプロレスは、ほとんどビデオに撮ることも無く、 おきていた時に、たまに見るようになってしまいましたが、 世の中に今後とも残るのは、 今はどん底ですが、「プロレス」のような気がします。 昔のプロレスのリアルファイト(永遠、5時間近くのファイトを今の観客は求めるはずも無く・・)を 修正し、地方の身近でも、庶民に分かり安い形(善悪の形)で見られるようにしたのが、 近代の「プロレス」だったはずです。 「プライド」も「K-1」も、所詮、スター選手がいなくなれば、 同じ道(昔のプロレスのリアルファイトが衰退した道)に陥る気がします。 私にはよく分かりませんが、 どの世の中にも、各種のスポーツ競技において、 スター選手が輩出すれば、急にそのスポーツが世間で注目される現象は、 不思議なものです。 プロレスは、数ヶ月に1回の興業では無く、 続く時は、毎日になります。 「プライド」、「K-1」とは違う興業体系を理解できないと、 「プロレス」の本質は、一般大衆には理解できないかもしれません。 「毎日行う」事の大変さ・興業の意味のアピールが、「プロレス業界」は、下手な気がします。 見せる興業の格闘技は、そもそも「殺し合い」では無く、 また、素人の無鉄砲な腕試しを披露する場でも無く、 そもそも、単なるショー(肉体の観劇)でも無く、 「肉体を鍛えた人間が、レスリングを基本とした総合格闘技を、 観客を意識ながら、自己をアピールし、観客を沸かせ、 かつ、勝負者同士がお互いの信頼関係の下で、その日の勝負をする興業」 であることを、プロレス業界は、より、アピールすべきだと思います。 「プライド」も「K-1」も、その選手は、毎日の興業はできるはずはありません。 その点、「K-1」では使い物にならないほど、地に落ちた曙を使いこなし、 地方ファンを沸かす「プロレス業界」は、奥行きがあり、懐があります。 プロレスファンは、曙の下手は下手なりに、一生懸命やっている事を、 本人の試合で理解する目を持っています。 「週刊ファイト」が、休刊し,真な情報を提供する機関紙(?)を失い、 この頃、醒めつつも、やはりプロレスが気になる人間の投稿でした。> ・・・私は、力道山がテレビに始めて出た昭和29年に生まれ、 父が何故かプロレスファンで、8時からのテレビをしょうがなく見た世代で、 (本当は裏番組の「ディズニーワールド(?)」の方が見たかったのですが、) 時代が下り、テレビ朝日がアントニオ猪木を中心に中継をしだし、 その後、日本プロレスを脱退し、新日本プロレスを結成したころからの、 実は、熱烈な猪木ファンである。 (今後、機会があれば、その詳細は、記しますが・・・。) そもそも、前回、気が付かず、「アリザ」という名前を出してしまったので、 このブログ名の由来をここに記しますが、 「mohariza」は,大学時代の「プロレス同好会」のような、学園祭等の リングネーム「モハメッド・アリザ」から来ている。 ブログ上、猪木と戦ったモハメド・アリの「moha」と本名の「ariza」を合体した著名(ネーム)である。 今だ、格闘技(+プロレス)は、この歳になっても、やはり好きである。 |
#
by mohariza2
| 2006-12-24 19:11
| 人間
|
ある投稿より~「読ませる技術」(山口文憲著)について |
ある投稿より(平成十八年12月24日) (補記・追記) <「読ませる技術」(山口文憲著)は、読んだことはありませんが、○○さんの自分なりのまとめの内容文は、よく分かります。 文章以外でも、人を説得する際の会話にも適応できそうです。 しかし、 ●執筆する前の心構え 七か条の中の、 「7 話はひとつだけに絞る」は、その通りとは,思いますが、 他の、 1 誰も書かないことを書く 2 読者が読みたいことを書く 3 正論は書かない 4 出来事をそのまま書かない 5 身近なことを書く 6 自分の話はしない 上記のことは、なかなか難しいような気がします。 1.は、このブログの根本のようなもので、 私の気のまま、思っていたこと、ふと気になったことを記していますが、 七か条のいくつかは、つい、書いたり、話したくなりします。 また、「3 正論は書かない」については、 私は、非難・危険が有ろうとも、あえて書きます。 それが私の生き方ですので・・・。> |
#
by mohariza2
| 2006-12-24 05:16
| 言葉・文字
|
タルコフスキーの映画 ~芸術作品について |
私は、映画監督タルコフスキーの映画の中で、特に印象に残っているのは、「ノスタルジア」です。 自然、大地、雨、水、宗教的な建物に対する、ロシア民族が民族として感じている感性等が、画像、音楽で映画として表現されていたと思います。 イコン等自然への感性は、日本人とは違いますが、自然への憧憬(崇めのようなもの)を、 ロシア民族も持っていると思います。 現代の共産主義国家が出来るの前の、ロシアは、精霊、自然への憧憬に満ち溢れていたかもしれません。 また、ギリシア正教会が伝えられる前からの、民族として、崇める対象としてのもの、その精神性(原始宗教のようなもの)があったと思います。 スラブ民族としての、また、その中でのロシア民族としての精神性は、同じヨーロッパでも、ゲルマン民族とは違うものだと思います。 (ロシア民族は、モンゴル、バイキングの血も混ざり、血の中にある民族の精神性も、他のスラブ民族とも違うかもしれません。・・・もちろん、他のスラブ民族国家も、幾多の歴史の中で、血が混ざり合い、スラブ民族国家全体は、個々において、その特色がありますが・・・。) タルコフスキーは、ロシア民族の精神性、血を映画で表現したかった、のもしれません。 なお、タルコフスキーは、映画を創ると共に、詩人家の父の影響か、多くの言葉を残していますが、私は、氏の映画と直接結びつけるべきでないと思っています。 映画(すべての芸術作品にいえますが・・・、)が創り出され、監督の手から離れた時点で、監督と別物になって、その作品は動き出します。 監督(たとえ本人の言葉だとしても・・・、)の言葉は、「一種のその映画への一つの見方・解釈でしかない!」ということです。 作品家本人の言葉でも、その作品の真の価値は、別の評論家なりの方が、本質を突いている場合もあり、また、様々な考え・解釈があり、作品自身を対象にすべきだと思います。 当然、有名な評論家の言うことが、正しいことは無いことは、当然です。 その作品は、観る人(小説等も同じですが・・、)それぞれが自分で感じればよいことだと思います。 極論を言えば、「解説書は必要ない!」とも言えます。 純粋に見ることを妨げることもあります。 (絵画展で、よくその絵を見ないで、絵画の下あたりの解説及びその絵の「題名」を見て、納得している人が多くいますが・・・。) 作品自身を鑑賞すべきだと思います。 |
#
by mohariza2
| 2006-12-23 12:47
| 映画
|
女優 故 岸田今日子さんについて |
故 岸田今日子さんは、日本の女優の中で、美人でもなく、口がやたら大きい女優でしたが、その存在感で、今では受けいられている、表現力及びプラスαが女優(芸能者?)の根本であることを実践してきた稀に見る女優だと思っています。 映画『砂の女』(監督 勅使河原弘 主演 岡田英次、原作:小説 阿部公房による)は、初期の主演で、大学を卒業後、東京のどこかの映画館で見ましたが、その映画・小説のように、完全に男(岡田英次)を食い、若くしてその存在感を表した映画でした。 岸田今日子さんが切り開かなければ、日本では、現在の個性派女優も、スムーズに大衆に受け入れられなかったかもしれません。 私は、岸田今日子さんのような存在感のある女の人は、どちらかと言うと苦手で、日本の女優では八千草薫が、一番好きで、色白で女性らしいつつましい女の人(?)が本当は好きですが、 男を含め、顔の美しさ(?)から来る美卑は、あくまでも、人間の主観であり、絶対的ではないことは認めつつも、やはり、何故か、男に植え付けられた好みはいつまでも同じと思っています。 しかし、世の中の男女のカップルで、美男美女同士は少なく、何故?というカップルも見かけます。 やはり、心が一番なのでしょうか? 夫 故 仲谷 昇は、男優としては、渋めの役者でしたが、夫婦間の内情は知るべきもありませんが、良いコンビだったような気がします。 |
#
by mohariza2
| 2006-12-23 04:39
| 映画
|
CTスキャンの結果OK |
今日、大学病院に行き、CTスキャンを撮り、結果、問題無しの診断が出た。 今日も、王診療所に行き、首の牽引を行い、右指はだいぶ、自由に動くようになった。 しかし、手首はまだまだ硬く、そらすことが出来ない。 どちらにしても、リハビリーしか無く、指も含め、手首もストレッチのように動かす努力をしている。手首にも注射が必要かもしれない。 手首は、手のてこの原理の元であり、かなり重要なことがわかった。 今さらながら、人間の身体において、どの部分も重要で、それらを失ったり、不自由にならない限り、その有り難味が分かってなかった事が分かった。 王診療所の注射は、どうもリンパ腺への注射のような気がしている。 西洋医学では、神経については、かなり解明しているが、 リンパ腺(液)については、解明しておらず、その重要性もわかっていないのでは? (もちろん、私もよく分からないが・・・。) 東洋医学(漢方医学)は、まだまだおくが深い、気がする。 |
#
by mohariza2
| 2006-12-20 02:15
| 生命
|