「精神年齢と純粋さ」について |
2006/08/03~04 ある投稿でのやり取りから引用 (補記) 「私は、妻、子供から、お父さんは、いつまでも小学校1年生から成長していないのでは?と言われています。 確かに、成長していない部分があると思います。私はそれでも良いと思っています。 純粋な心は、いつまでも残しておくべきで、大人になってからも大事だと思っています。 社会との適応は、自分の身の回り・会社等のしきたりの中で、ほどほどでも良いと思います。 ガウディは、いつまでも純粋な心・目があったから、晩年になってもすばらしい建物をつくる事が出来たと考えています。」 「>純粋さ、というのはとても大切だと思います。純粋さがあるから未熟だとは限らないと思います。 ・・・おっしゃる通りです。精神性を高めることと、純粋さを失わないこととは、別だと思います。 >思春期の頃の様に純粋さと脆さをそのままに大人になると人間はいけない様な気がします。 ・・・ 中国の三国志の時代から、現代まで、新しい科学的知識が増えただけで、精神的な人間的成熟度は、変わっていないような気がします。 昔から個々の人間は、同じ苦労をして、人間とは何かを追求し、思春期から大人の世界に入っているのでは? 相手の話を理解し、聞けること。自分の意志を伝えること。世界の秩序を理解すること(順応する事とは違う)。自分の世界観を持つこと。これらが大事だと思います。 社会的に一応認められ、立派な大人(?)になっている人でも、これらを持ってない人がいます。」 <中国の三国志の時代から、現代まで、新しい科学的知識が増えただけで、精神的な人間的成熟度は、変わっていない!>このことは、事実だと思います。 人間は、昔から、同じように間違え、同じように悩んでいるように思えます。 前にも記したように、昔からの哲人・宗教家・小説家等は、真理を追究しましたが、 私には、現在残っている宗教においても、納得する真理は、回答されていないと思っています。 信じることは、心の安心に繋がり、信じている人間を非難するつもりはありませんが・・・。 幼い時の<純粋な心>を私が今だ持ち続けているか?と、本当に問うと、<欠けた部分>、 大人になって<知ってしまった部分>はあるかもしれませんが、 まず自己形成をしたときの<自分とは何か?>、成長の段階で疑問にもつ<人間とは何か?>は、今だ、持ち続け、問いかけています。 このことを問うことをやめ、<世の中は、そういうものだ。>と流され、社会の風潮に身を置くのが、大人の社会人かもしれません。 上記の問いを追いかけては、社会の仕事の現場では、生活できません。 これに関連して、小説家の 「なだ いなだ」氏の「権威と権力」 を記そうと思いましたが、 次の機会にします。 (少々疲れました・・・。) |
by mohariza2
| 2006-11-19 06:11
| 人間
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